『共事』者に扉を開く時

2020年3月27日

地域の課題解決に向けて 「共事」者に扉を開く時
(思考のプリズムより  朝日新聞掲載 小松理虔氏)

障害福祉事業所に通い取材している、そこでは社会の側から見たら「迷惑行為」にも思える行動を、その人なりの表現として捉え、その人がいたいように、表現したいように表現できる場づくりが行われている。
そこで私がすることは、利用者と一緒にいる事だけ。
もし私が親だったら。献身的に支えるかもしれない。ヘルパーだったら、実技を生かせる。
医師であれば、診察すし、研究者であれば研究するだろう。
けれど私は何のスキルもない部外者だ。一緒に歌を歌ったり昼寝したり散歩したりすることしかできない。
それでもその事業所のスタッフは「あるべき支援」を私に提示することなく、部外者の関わりを受け入れてくれる。
私は次第に、素人には素人ならではの関りがある、部外者である自分にもできることがあるはずだと考えるようになった。
「介護民族学」の研究で知られる民俗学者の六車由美さんは、デイサービスでの利用者へのリサーチを行い、「支援する人/される人」を超えた関りがあることを実証した。
この事業所でも同じことが起きている。
専門的な福祉の知識が無くても、個人の関心や興味、様々な表現行為を通じて、利用者がその人らしく過ごせる時間を作ることができるのだ。だからこそ、その事業所では自分たちの
行動を外に開き、私のような素人をも受け入れてくれるのだろう。
障害福祉や支援のハードルはまだまだ高い、素人目には難しく見えるし、家族や支援者に、「あなたの関りは間違いだ」と言われたら反論は難しい。「正しい支援」を求めて二の足を踏んでしまう。障害を知らないからこそ難しく感じてしまうのかもしれない。
 
地域の課題も同じだ。福島や沖縄、あるいは災害被災地。課題が大きいほど社会で支えなければいけないのに、課題の重さが関わりにくさを生み出してしまい、課題解決を遅らせてしまう。
必要なのは、当事者性の高さや専門性にとらわれない関りだ。ふまじめで個人的な興味や関心、「いるだけでもいい」という低いハードル、誰もがワクワクするような魅力的な場。それらが、課題を社会に開き既存の当事者の枠を超える新しい関りを作り出す。
 
私は、そのような部外者の関りを「共事」と呼びたい。当事者として対峙しているわけではないが、無関心ではなくことを共にはしている。という人は多くいる。徹底して寄り添うか、絶対反対か、様々な課題が二分化される現代。共事的な「わずかな関り」を許容することが、当事者の困難を社会に開き、新たな関りを作る回路になるのではないか。  
当事者から共事者へ!  課題解決の扉は、あなたへも開かれている。  

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